2007年12月25日火曜日

バランス~クリスマスに思い出した別れ話

昔、ある女性に恋をしました。

5年付き合った彼女がいたにも関わらず。

気持ちに嘘はつけないよな、それにこうなったら早くに話したほうがいいよな、と、彼女に別れ話を切り出しました。

彼女はただ黙って僕の話を聞いていました。

「それって、もう、決めちゃったことなのよね。」

彼女は言いました。「なら、そうしたらいいんじゃない。」

彼女は大人だ。

あっさりしたもんだ。

「傷つけないかと心配だったんだ。」と、初めて彼女の顔を見ました。

彼女は泣いていました。

「別れ話を切り出されて、泣くような女じゃない。」

彼女の口癖でした。

彼女は僕と出会う前の恋愛で深く傷ついて、それ以来、泣く程人を信じたくないと決心していました。

僕はそれを知っていました。

知っていたのに、いや知っていたからこそ、別れ話を雨の振る夕方に切り出せたのかも知れません。

彼女はゆっくりと時間をかけて、僕を信じていました。

振り子の振幅がやがて静かに止まるような、そんなバランスの取り方で。

だけど彼女は、同時にもうひとつ別のバランスを意識していました。

「私はあなたを好きだけど、何よりも、とは言えないじゃない。そのことがあなたを苦しめたことも知っているし。そのくせ、あなたにとっての何よりもになりたい、とは思っていたの。だけどそんなのムシが良すぎるかなって。」

彼女はずっと泣いていました。

違う。彼女の涙を見ながら僕は思っていました。

彼女はただ僕を責めたらいいだけなんだ。

それで、僕は僕の我儘さと、欺瞞とを思い知ればいいんだ、と。

「あれ、私泣いてるね。嘘つきだね。ごめんね。」

最後にそう言って、彼女は席を立ちました。

天秤の片方に重いものを乗せ、もう片方にそれよりも軽いものを乗せる。

バランスを取るためには軽い方におもりを足すか、重い方からおもりを引くかしなくてはいけません。

彼女が意識していたもうひとつのバランスとはこの引き算だったんだと思います。

自分を責めることで彼女は二人の関係のバランスを保とうとしたんだと。

僕が始めてしまった引き算は、二人の関係を軽くして、そして、僕を責め続けました。

その時僕の内側ではどんなバランスが取られたのか。

結局、その後僕は一人で幾度かの冬を迎えました。

2007年12月23日日曜日

純愛についての僕の定義

世に純愛という言葉があります。

辞書で引くと「邪心のない、ひたむきな愛」。

分かったような分からないような説明です。

愛はどこまでも個人的なものなので定義というのも無粋かもしれませんが、誰かの為に、自然に、我知らず自分を犠牲にしちゃっているような、そんな人との関わり方、というのが近いかなと思ったりします。

基本人はいつも自分が一番可愛いけど、いつの間にやらその自分を犠牲にしている瞬間があって、わりと自然にそうしてしまって。

プラトニックかどうかではなく、エゴを超越したかどうか。

如何でしょうか。

2007年12月22日土曜日

優先順位

「仕事の成否は、八割方(九割?)段取りで決まる。」というのは良く聞く言葉です。

仕事に限らず、何かの企画(イベント、会合、デート、結婚!?)についても、段取りが命!です。

意味は分かるけど・・・、ってな感じですが、具体的にというとどういうことでしょう。

段取り良くやる為のスタートは「優先順位付け」です。

目的は何か、を出来るだけ単純化して考え、その為に必要な作業をピックアップした上で、その作業に優先順位を付けていきます。

この際、「何をやるか」と同じくらい大切なのが「何をやらないか」だったりします。

個人の思考と言うのはどうしてもなんらかの癖というか方向性があって、かなり注意しないと、目的達成の為には殆ど不要なことに知らずに労力を割いている場合が多いものです。

それを避けるには、「何をやらないか」を意識することはとても有益です。

同じような話ですが、段取り良く済ます為の最大のコツは、余計なことを徹底的に排除するということです。

やっている最中に気になることがあっても、決してそちらに気をとられないこと。

優先順位の高い作業と位置付けたことが終了するまではある意味機械的にその作業を完成させること。

それ以外のことは、それから、行うこと。

これだけで、ずいぶんと段取り上手になるはずです。

2007年12月19日水曜日

正直と誠実について

ある事実を出来るだけ客観的に相手に伝えることを「正直」とするなら、「正直」は時に「嘘」よりも人を傷つけることがあります。

と言うより、「客観的でいられる事実」が人を傷つける、と言うほうがより近いかもしれません。

一方、「客観的な誠実さ」というものは存在しません。

誠実は主観的な活動でしかあり得ないからです。

誰かのそばで僕は誠実でありたいと願います。

傷つけられる程近くにいた人を、「正直」という真実の顔をしたナイフで切り裂くことを、ただそれを

僕は恐れます。

2007年12月18日火曜日

牧師さんの説教

先日、友人の結婚式に出席したときのこと。

賛美歌だなんだ、退屈な儀式に耐えればおいしいお酒にありつける、と不謹慎にあくびを我慢して過ごしていたけど牧師さんの説教が始まると何故だか改めて感動しました。

「聖書に曰く、汝の敵を愛せよ。好きになれ、ではない。敵なんか嫌いに決まっている。だけど愛することは出来る。愛するという感情は高度な理性的挑戦であり、人間にしか持てないものであるからです。」

健やかなる時も病める時も、汝はこの者を愛しますか。

お決まりのフレーズだけど、実は汝は人間として成熟していますか、と問われているのかも。

自分は、誰かを愛せるのか。

無償の愛、条件付でない愛。

一生かかるのかも。

だから挑戦?病めるときも、健やかなるときも、この者を支え、この者を許し。

愛は自分のエゴに対する理性的な挑戦なのだ。

挑戦には勇気が、勇気には強さが、強さには優しさが、優しさには愛が、そして愛は挑戦で。

ぐるぐると。お酒はおいしかったけど、それからもぐるぐると。

2007年12月5日水曜日

お~い。

後輩の指導責任者って、なんだか大変です

。営業教える前に、社会人としての?掟やマナーを教えなくちゃいけないのに、特に骨が折れる。

始業時間になっても後輩の顔が見えず、心配してかけた携帯電話も留守番メッセージ。

それから1時間が過ぎてもコールバックもなく、今にも様子を見に行こうと会社を出ようとした矢先に後輩君が出社。

何の報告もなく席に着き、何事もなかったかのように仕事を開始。

別室に呼んで事情を聞くと、「いや、たいしたことじゃないっす。大丈夫っす。」

「大丈夫とかじゃなくて、ここは会社なんだから・・・。」

「あぁ、理由はたんなる寝坊っす。以後気をつけます。」

「・・・お前な、寝坊しないよう気をつけるって、学生じゃないんだぞ!そんな心構えなら出社してこなくていい!」

「・・・正直に言ったのが悪いんですか?仮病使うほうが賢いですか?納得できないなぁ」

って、お~い。

2007年12月1日土曜日

優秀って何だ?

会社に勤めて10年も経つと、もう立派な中堅社員なんだそうだ。

決算単位の長までは任されないが、その下のチームのまとめ役なんかは、自然とやらなきゃ許されない。

挙句、後輩の良き見本としても期待しているぞ、なんて言われて引くに引けず。

そんな訳で、今年もまた今年度の新入社員の指導責任者に。

日本経済が多少上向いてきたとはいえ、バブル期以前のような売り手市場は存在せず、このA君も何段階もの選抜を潜り抜けた優秀な人材。

何段階もの選抜。まずは最終学歴で書類選考され、その次に採用試験。

ふるいに残った者に一次、二次、最終面接が課される。

TOEIC750点以上なんて当たり前で、最終的に30人に内定を出した。

ここで、何の計算間違いか、意外な盲点か。

いわゆる人気の業種でもないのに、選抜しすぎて内定者の半分の15人のみが入社。

会社は新人教育にも気を使う始末。

やめられると困るもんね。

歓迎会の席でA君は「国内営業に魅力は感じませんが、ここでの経験をバネに、数年後は海外駐在に出て・・・」

ねぇ。君が魅力を感じない国内営業に僕なんか10年以上身を捧げているんですけど。

優秀ってなんだ?