昔、ある女性に恋をしました。
5年付き合った彼女がいたにも関わらず。
気持ちに嘘はつけないよな、それにこうなったら早くに話したほうがいいよな、と、彼女に別れ話を切り出しました。
彼女はただ黙って僕の話を聞いていました。
「それって、もう、決めちゃったことなのよね。」
彼女は言いました。「なら、そうしたらいいんじゃない。」
彼女は大人だ。
あっさりしたもんだ。
「傷つけないかと心配だったんだ。」と、初めて彼女の顔を見ました。
彼女は泣いていました。
「別れ話を切り出されて、泣くような女じゃない。」
彼女の口癖でした。
彼女は僕と出会う前の恋愛で深く傷ついて、それ以来、泣く程人を信じたくないと決心していました。
僕はそれを知っていました。
知っていたのに、いや知っていたからこそ、別れ話を雨の振る夕方に切り出せたのかも知れません。
彼女はゆっくりと時間をかけて、僕を信じていました。
振り子の振幅がやがて静かに止まるような、そんなバランスの取り方で。
だけど彼女は、同時にもうひとつ別のバランスを意識していました。
「私はあなたを好きだけど、何よりも、とは言えないじゃない。そのことがあなたを苦しめたことも知っているし。そのくせ、あなたにとっての何よりもになりたい、とは思っていたの。だけどそんなのムシが良すぎるかなって。」
彼女はずっと泣いていました。
違う。彼女の涙を見ながら僕は思っていました。
彼女はただ僕を責めたらいいだけなんだ。
それで、僕は僕の我儘さと、欺瞞とを思い知ればいいんだ、と。
「あれ、私泣いてるね。嘘つきだね。ごめんね。」
最後にそう言って、彼女は席を立ちました。
天秤の片方に重いものを乗せ、もう片方にそれよりも軽いものを乗せる。
バランスを取るためには軽い方におもりを足すか、重い方からおもりを引くかしなくてはいけません。
彼女が意識していたもうひとつのバランスとはこの引き算だったんだと思います。
自分を責めることで彼女は二人の関係のバランスを保とうとしたんだと。
僕が始めてしまった引き算は、二人の関係を軽くして、そして、僕を責め続けました。
その時僕の内側ではどんなバランスが取られたのか。
結局、その後僕は一人で幾度かの冬を迎えました。
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