2007年11月5日月曜日

手段としての言葉

気持ちは言葉にしづらいと言います。

その理由のひとつは、気持ち=感情はイメージに支配されて いる
からじゃないかな、と思ってます。

イメージと言葉は、そもそも相性が悪い。例えば、イメージの世界で
は僕は何者にでもなれます。ある場所にいながら他の場所にいる事
もできます。時間や空間を超えてさえも存在します。

限りなく自由な「イメージ」を、窮屈な言葉で表現することには限界が
ある。そう思うのです。

だから、音楽でしか、絵画でしか、写真でしか、とにかく言葉以外の
手段でしか伝わらないことは厳然と存在すると思います。

だけど一方で、窮屈でも言葉で表現する以外にないケースもある、
というか、頻度的にはこちらがほとんどですが、そういうケースがあり
ます。

僕の感動とあなたの感動が全く同じものでなくても、感動した、と伝え
合うこと自体が大切な瞬間。ただ、涙を流すだけで分かり合える場合
もあるけど、それよりも、あ、でも、お、でも良いから、何かを共有した
と確認できる、手段としての言葉が欲しい瞬間。

たとえそれが、勘違いでも。

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